”ビルに激突する旅客機の映像を呈示するのがメディア報道なら、ハイジャック犯たちのその瞬間の心情を想像する作業がドキュメンタリーの仕事なのだ” 森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」より
別 に自分はこういう種の活動をするつもりはないが、そういうことなんだと思う。正しいとか間違ってるとかではなくこういう視点で見たら新しい発見があるよ ね、とそこまで示せばあとはその情報を受けとる側のモラルや価値観の問題。情報を発信する側も世論(=常識)や法律を盾にするのはどうかと思う。青臭いこ と言うけど、違法だから悪いんじゃなくてインモラルだから悪いんだよね。「お前それ犯罪だぜ!」とか指摘したがる優等生に「その論拠は六法全書に書いてあ るのかそれとも貴様の胸の内にあるのか」と問いたい。
そんなこと考えてると法の番人と呼ばれる裁判所とか警察とかに勤めてる人た ちってすごく葛藤もあるんだと思う。法律だけじゃなく社則でも家訓でもいいんだけどさ。警察官や裁判官が法を犯す瞬間、見てみたいなぁ…。きっとそこには ルールでは簡単に規定できない人の性や業のようなものがこびりついてるんだろうね。そのこびりついた”何か”を撮りたい。たぶんとてもピュアで綺麗なもの なんだと思う。視覚的にではなくヒューマニズムの象徴的なものとしてね。”理屈”より”屁理屈”に興味を持っているのもたぶんそういうとこなんだろう な。”屁理屈”は”皮肉”と同様に今後のテーマにしていく予定。「あんたは屁理屈ばっかり!」と幼少期から言われ続けてきた自分が30過ぎてようやく肯定 的にそれらを発信していくときがきたのだ!のだ!
というわけで森達也がオウムを内側から撮った「A」と「A2」をもう一回見直そうと思って 先週TSUTAYAに行ったんだけど置いてなかった。とか書きながらyoutubeで検索したらちょうど1週間くらい前にどなたか親切な方がアップしてく れてた。近いうちにまた見ようと思う。いまなら昔見たときとは違う視点で見れる気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=iu3_y7s8FQo
https://www.youtube.com/watch?v=xVQvFNw5lo4
…最後に、昔書いたメモが出てきた。”警官である息子のために自ら犯罪に手を染める父親、そして親戚一同…カズ君はこの村の誇りです” 以上。おはよう。